私たちがやろうとしていること。(1) 2012年5月1日

【がれき(立ち枯れ木)の撤去処理作業の様子。】
この立木の中には、津波で尊い命を奪われた方が心を込め植林した、そして成長した一本が含まれています。
この枯れた木に、新たな命を甦らせようと思います。
焼却処分ではなく、建築用材として、薪として、バイオマス燃料として、、、。

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【多くの方々が吉里吉里国に来てくださいます。】
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細野 環境大臣と、その仲間たち。
右端からお二人は、馬搬技術の若き後継者・岩間氏と伊勢崎氏(岩手県遠野市)。
そして逞しい馬サムライキング。

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がれきの現場に仁王立ちする細野氏。

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がれき撤去作業を手伝ってくれた吉里吉里の後継者、松橋 勇人 君。

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この子達も逞しいボランティアです。 大村 はる ちゃん。 大村 耕平 君。

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全国から集まってくださった、企業のボランティアのみなさん。

【原木丸太の集荷作業の様子。】
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 (結城登美雄氏の文をご紹介させていただきます。)

 林業ひとすじに山を生きてきた秋田の老人から、こんな便りが届いた。
 「下草刈り、間伐、枝打ちを重ね、ようやく立派に育った樹齢六十年の杉を三百本、このたび売却しました。ところが、あろうことか手にした金はたったの二十九万円。六十年かけて一本千円にもならぬ杉を育ててきた私の人生とは、いったい何だったのか――。」
CO2削減目標、グリーンニューディール、緑のダム構想・・・・・。都会向けの耳ざわりのよい言葉が行き交う現代にあって、国土の三分の二を山林がおおうこの国の山奥で、人知れず流されている無念の涙があることを決して忘れまい。
もとより林業とは、それを植えた人間が現世のうちに利にあずかれることの少ない仕事である。しかし人々はそれを承知で育て続けてきた。それが山村を生きる誇りであり、希望だった。
《遥かなる子の世へ残す檜植う》
                (芋峡)
《わが死後も杉育ちゆけ法師蝉》
                (秀朔)
森見て、それを支える人々の労苦を想像できない私たちの環境論。思えば山村の戦後史とは、森林を離れ、山の暮らしを捨てる歳月ではなかったのか。                      
                                -以上ー

吉里吉里国は、この秋田のご老人のように、山の中で血の汗流しながら正直に生き抜いてこられた人たちに認められ、喜ばれるような林業システムをつくりあげたいです。

ご老人が、「やっぱり俺は、山の中で生き続けてよかった――。」と思ってくださるような生き方を、正直に続けていきたいです。

先人達がそうであったように、海や山を生きる誇りを持ち続けながら。

希望の灯を絶やすことなく。




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